島津亜矢(しまずあや)の才能は母による英才教育だった!?【踊るさんま御殿】

芸能

2021年6月8日に放送される踊るさんま御殿に演歌歌手の島津亜矢(しまずあや)さんが出演されます。

島津亜矢(しまずあや)さんと言えば、デビューからずっと演歌一筋だったところを2018年からカバー曲を歌い始め、その歌唱力の高さが話題になっていますよね。

天才と言われた島津亜矢さんは母から英才教育を受けていたと言われていますが、具体的にどういった教育を受けてこられたのでしょうか?

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島津亜矢(しまずあや)プロフィール

出典元:https://www.shimazu-aya-koenkai.com/profile/

本名:島津亜矢子
生年月日:1971年3月28日
出新地:熊本県鹿本郡植木町
血液型:O型
親族:父・母・姉
9歳のときテレビののど自慢番組に出演。「津軽海峡・冬景色」を熱唱し、天才少女としてで話題に。

14歳で上京し、作詞家の星野哲郎に弟子入りする。
1986年:「袴をはいた渡り鳥」でデビュー

1991年:愛染かつらをもう一度」が30万枚を超えるヒット曲となる。

2001年:「第52回NHK紅白歌合戦」に「感謝状・母へのメッセージ」で初出場。

2015年:「第66回NHK紅白歌合戦」に「帰らんちゃよか」で14年ぶりに復帰。以降4年連続出場。

出典元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E4%BA%9C%E7%9F%A2

島津亜矢の母が行った英才教育とは?

島津亜矢さんのお母様は島津久美子さんという一般人の方です。

母・久美子さんは、島津亜矢さんが誕生したとき、その力強い産声を聴いて「この子を演歌歌手にしよう」と決めたそうです。

そして島津亜矢さんを3歳の時に「のど自慢大会」に出場させたところいきなり優勝し、その後数々の「のど自慢大会」で100本以上の優勝トロフィーを獲得しています。(出典元:https://post.tv-asahi.co.jp/post-86959/)

幼少期に具体的にどういった英才教育を行っていたのか、今のところ詳細な情報はありませんが、2021年6月8日に放送される「踊るさんま御殿」で明かされるかもしれません。

母・久美子さんは島津亜矢さんが14歳の時に本格的に演歌歌手を目指すために上京させ、島津亜矢さんは当時歌謡界を代表とする作詞家・星野哲郎氏の門下生となります。

14歳で自分が必要とする学びを得ることや自分の人生を決めることはまだまだ難しい年齢ですし、歌謡界を代表とする作詞家・星野哲郎さんの門下生となったことは母・久美子さんの影響によるものだと考えられます。

【追記・踊るさんま御殿で語られた英才教育】

母・久美子さんは歌手でもなく、全く歌わなかったそうですが、演歌を聴くことが大好きだったそうです。

娘・島津亜矢さんを演歌歌手にするためにかなり厳しい英才教育を行なったとのことで、なんと島津亜矢さんが3歳の時には初めて聴いた曲を歌詞も含めて15分で覚えるようにと言い、覚えられないとトイレや押し入れに閉じ込められたんだとか…

それでも不思議と覚えられるようになってきたそうです!

訓練すると短時間で曲が覚えられるようになるんですね!

3歳の我が子にそこまでスパルタになれるのはある意味凄いですよね…

本気で島津亜矢さんを演歌歌手にしたかったのでしょうね。

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島津亜矢の才能は遺伝なのか?

島津亜矢さんは努力により幼少期には天才少女と呼ばれ、現在のような目覚ましい活動にも結び付いてきたのでしょうか?

実は音楽の才能は9割が遺伝によるものと言われています。(出典元:才能は遺伝で決まるという謎

これが真実であるとすれば環境が影響するのは残り1割ということになります。

ただその生まれ持った才能を幼少期に発掘できるのは親です。

つまり島津亜矢さんの才能が遺伝であったとしても、母・久美子さんがその才能を見抜き、演歌歌手として必要な能力を最大限伸ばすべく教育されてきたことが今の島津亜矢さんに繋がっているのではないでしょうか。

例えば宇多田ヒカルさんの例をご紹介すると、週刊現代に以下のような記事が投稿されていました。

音楽プロデューサーの酒井政利氏が語る。

「歌手の場合、声の質や音感、生まれついた環境から来る表現力など、親の影響は大きいと思います。私は藤圭子さんのプロデュースを担当したことがありますが、彼女の天才的な音感は見事にヒカルさんに遺伝した。二人は歌唱法が違うのですが、普通の人が会話するように、自由に自分の気持ちを歌で表現できる。歌心のようなものが同じなんです。これはレッスンでは身に付かない。

圭子さんはヒカルさんが2~3歳のころからスタジオで遊ばせていて、あるとき『この子は天才なの』と言うんです。周囲は口には出さないものの、親バカだと思っていましたが、後にヒカルさんの歌を聴いたときは本当の天才だと思いました。二人に関する限り、7~8割が遺伝でしょう」

出典元:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/35674?page=8

すべてのケースが該当するとは限りませんが、才能の遺伝がその道で成功するか否かの条件であることは間違いないように思います。

島津亜矢さんと母・久美子さんの努力

島津亜矢さんにはもともと歌の才能があったとはいえ、親子の努力で今の地位が築かれていることは間違いありません。

島津亜矢さんのオフィシャルブログには下記のようなことがつづられています。

2020-11-22

今日は母の誕生日でした。
今年は2人でおめでとう~。
たくさんの方々からのお心遣い感謝致しております。
ありがとうございます。
母が一緒に仕事するようになったのが、40歳のときでした。
たくさんの山を乗り越えてきた母も75歳。
富士山を見ると思い出す35年ほど前、母と上京するとき、飛行機の中から見た富士山!
「日本一の歌手になるまで絶対諦めんで、頑張らなんよ!」
母がそう言いました!私はうなずきました!

2021-5-9

今日は母に感謝の一日です。
上京してきてくれたのが、母が40歳の時。
75歳になってしまいました。
背中は小さくなってきたなぁと感じますが。
少し弱い部分も娘には見せてくれるようにもなりましたが。
強い母は健在です。
母親は唯一無二の存在です

https://ameblo.jp/aya-shimazu/entry-12673460480.html
https://ameblo.jp/aya-shimazu/entry-12673460480.html

親子二人三脚で頑張ってこられたことが分かります。

実際母・久美子さんは島津亜矢さんが昔所属していた事務所と離れるとき、1991年にオフィス風(有)を立ち上げ代表として島津亜矢さんを支えてこられました。

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